自分の中の基本

本でも音楽でも発表された年代関係はなく
何か新しく気に入ったものが
発表されてすでに何年も経っている場合、
「もう少し早くその良さに気づいていたら
 今の見え方も変わってるのでは」
と、いつも思ってしまう。

でもよく考えてみると、
それを受け入れた時点の状況(感性・考え方)だから
そこに気づけたのであって、
少し前の状況ではやっぱり
その良さに気づけなかったとも思う。

ただ、新しく気に入ったものでもしばらくのうちは
「良いかな」と思った方向へ幅を広げていくけど、
時間が経つと必ず
自分の中でベースとして存在している
「基本的に好きなもの」のところに戻って来ている。

かといって、新しく気に入ったものの価値が
自分の中で下がっているわけではなく、
「基本的に好きなもの」が自分の中で「やっぱり良い」となるので
いつも戻ってきてしまうのでしょう。

それでは新しく気に入ったものが無駄だったかといえば
そうではなくて、
新しいものを取り入れた経験は
自分の中のベースを再認識するのに
必要なことではないのかなと思います。

基本的に「経験したこと」に無駄はないと思います。
経験しないとわからないこともありますので。
ただ、1度で済むことを回数重ねることは
絶対的に無駄なことだと思いますが。
例えば、
買い物に行って買い忘れて、また買いに行かなければならないような。

新しく気に入ったものが
いつのまにかベースとなっているものやそうでないものもあります。
そうでないものは別に価値が下がっているわけではないので
僕なんかは気分転換の時などに使います。

学生の頃に比べて、さすがに頻度は少なくなってますが、
なるべく機会を持ちたいとは思ってます。
自分の中の基本を見失わなければ、いつでも戻れますし、
もし合わなければ戻ればいいだけのことですから。